ヒビノヒトコマ

rihoko.exblog.jp
ブログトップ
2015年 11月 15日

イナンナの冥界下り


e0308246_11072716.jpeg

篝火の艶めきてあり神無月







お誘い頂いて◯十年ぶりに能楽堂へ。

学生時代にお能の授業で松濤の能楽堂で寝てしまい、、、、、
レポートを書くのに難儀した記憶が蘇りますが、能楽師でもあり今回の舞台の総まとめをされている安田登さんが
お能は神事なので時々寝てしまうのは当たり前というようなことをおっしゃられていて、
学生時代のあの罪悪感といいましょうか、痛恨といいましょうか、そんなことから解き放たれたのでありました。
(大げさなようですが、お能の先生がとても人格優しくおだやかな先生で、、、、、とてもうれしそうに楽しそうにお能の授業をされていて、お能に興味が持てなかった自分が申し訳なくて、そんな思いを何処かにかかえておりました。能楽師さんにそう言っていただくと、
胸のつかえが取れたようです。)


さてさて本題。

まだ誰も出ていない舞台を見ていましたら、皆さんの出場を待っておりましたら、何故か涙が出てしまい、それが何に触発された涙であるのかはわかりません。
この作品に関わった皆様のなみなみならぬ情熱とか、新しい試みに対する期待感であるとか、ワークショップで垣間見た皆さんの自由闊達な精神がこうして形になるのだという感動だとか、そんな気持ちからだったのでしょうか。未だよくわかりません。
そう、夢のなかにいたような。 


とてもとても個人的な感想。
女性性ということ。
理由がわからずとも、冥界に下ったイナンナ。
どんな辱めがあろうと、死がまっていようと、行かなければならないと思ったイナンナ。
意志というより神がかり的な思いに取り憑かれたイナンナ。 
繰り返される台詞や歌詞という音と、竪琴や異国の太鼓の音と、三味線と。
女神のようなダンサーの鳴らす鈴の音と、また衣擦れの音と。
さざなみのように押し寄せてくるようであったり、
共鳴しあうようであったり、
頭を使って読み取るというよりも、体の中心で感じるといいますか、
終演後も舞台での音の共鳴が体の芯に残っているようでした。
それはもうある種原始的な官能性を呼び覚まされるといいますか。
余韻という言葉がありますが、体にこのように余韻が残るという経験は初めてのこと。
絵本や昔話にでてくる繰り返しの心地よさということ思い出しました。
イナンナがメを一つ一つはがされていくシーンの演出がまさにその心地よい繰り返し。
この繰り返しがあるからなのでしょうか、また進化をし続けるというこのいにしえの物語を又観たいという思いは、
子供の時に繰り返し読んでほしいと願った思いの進化版のような(^^)
「イナンナの冥界下り」は洗練された伝統芸能のモザイク手法で語られる上等な上等な大人のお伽話。
美しさと生命の持つ官能性を感じさせる様々な音の共鳴に包まれた大人のお伽話。
たいへん贅沢な贅沢なお伽話。

これからの進化を又楽しみにしつつ。
舞台に関わった皆様に敬意と感謝を。
ありがとうございました。



[PR]

by nekototorito | 2015-11-15 11:06 | 舞台


<< 12月4日 フラン お空へ      冬に入る >>