人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ヒビノヒトコマ

rihoko.exblog.jp
ブログトップ
2014年 08月 01日

セカンドオピニオン

セカンドオピニオン_e0308246_754247.jpg




あれから三日後にセカンドオピニオンの予約が取れた。
結果は治療不可能。
その選択をすると今の病院に入院が不可能。
さて次を探さなければならない。
ケアマネージャーさんがつくのだが、せっかちな私はいろいろと電話をして調べてみた。

緩和ケア専門の病院にはまず外来で診断を受ける。それに大体早くて二週間、一か月ほど待つ。
そのあと会議にかけられ、あいていればはいれるが、それもいつなのかはわからない。
そして緩和ケアの必要事項として痛みなどがあること、まただいたい余命一か月くらいの感じで入ることができるらしい。
父の場合この三日ほどで急に弱ってしまい、嚥下障害、また自分一人では立つことすらできなくなってしまった。
ただ痛みがないため、医療行為が必要というより介護が必要ということで、末期がん患者でありながら医療行為の対象者とはなりえない可能性が高い。

担当医はとても良い人ではっきりは言わないが、医師の発する言葉の裏にはかなり難しいということが見て取れた。
さらなる治療も薬が限られるとかでうちでは診られないということも言われていて、その裏にはもう治療ができないのでベッドを早く開けてほしいという気持ちが透けて見える。(でもこれはベッドを待っている人、また救急で運び込まれる人たちのために病院としてはしごく当然のことと受け止めている。批判の気持ちは全くない)
ただ医師の説明から転院先がなかなか難しいということは理解できた。緩和ケアの病院に入れるのは数か月かかる。診察でさえかなり待たされる。その間の時間稼ぎの病院さえ見つかればよいのだけれどさてそれがどうなるか。

緩和ケアの申し込みにしても、病院からではないと受け付けないもの。
患者家族からでもOKだけれど、本人に緩和ケアがどういう意味合いを持つのかきちんと話して本人の了承を得ていることが前提の病院もあり、セカンドに同行したにもかかわらずどうだったか聞く気力もなくなっている父に対して、これ以上治療はしないということを私たち家族は伝えていないため(これはなんだかもう子供みたいになっている父に対してそれを伝えることが忍びないという私の判断、弟は伝えるべきだと言っている。父は大人なのだからもちろん弟のいうことが正論であるが、私は言いたくない、もし言うのであれば弟がちゃんと言えばいいと思う。逃げているのかもしれないが本人が聞いてきたら私はきちんと説明をするが今の父の状態でわざわざ治療はもうできないということを伝えることはどうしてもできない)

その病院には予約ができなかった。でも病院の方はとても親切でご本人の理解能力がなくとも伝えてあれば大丈夫ですよ、、、とも言ってくださったのだが、事実伝えていないのに伝えてと言って予約するわけにもいかない。

もう一軒は本人への説明の件は何も言われず、とりあえず診察の予約をした。予約は一か月後。書類にきっと本人の承諾のサイン欄などがあるのであろう。

でもどこの病院の相談の方もそれはそれは親切であった。県がまたがった病院の方などは県がまたがると後回しになること、なるべく近い病院を選ぶこと、住まいの住所を聞き県の相談センターなども教えてくださったり。
ケースワーカーさんとの話し合いで教えていただけることなのだろうけれど、病院の仕事を離れて親身になってくださる窓口の方ばかりで頭が下がる。

そんなことを五件ほど繰り返していたら、非常に混乱し非常に疲労しぐったりしてしまった。
ぐったりしていたらケースワーカーさんから連絡がはいる。
明日の二時半に待ち合わせ♪
そうだケースワーカーさんに任せるのが一番なのだと思いいたる。

いやもう、知りたがりの私、というかきっと私にできることをしなくちゃいけない!みたいな使命感。
父に顔を見せても仕方がないというか父本人がそういうのを喜ばない。
必要な時に頼むとはっきり言われている。
セカンドから帰ってきて一瞬きりっとした時に鉛筆と紙をよこせと。
これまでにかかった交通費などを払うから言いなさいと、
母が笑ってそれはちゃんと心配しなくて大丈夫といさめた。
父は私が普通の生活をすることを望んでいる。夕方になれば早く帰れと夕食は大丈夫なのかと心配する。
それが父の子供との距離、それは大変正常というか自立している親の気持ち。
父と母を見ていると本当に互いに頼りあっていて任せあっている。
母の代わりをできる人はいない。私ができるとしたら母のサポートくらい。
だから今まで幸せなことに、病気や介護の問題にぶつかったことがないため、少しでも前もって知識を持って、
専門家の話を理解し、質問しなければという、そういう役割でしか私は親の役に立てないという使命感に駆られている。

父が細かく交通費を心配する前に、母からきれいな封筒に入ったお金を渡されていた。
一度は断り、次に会った時はどうしてもというので受け取る。
金銭的な負担を子供にかけたくないという親心。
母は交通費も積み重なると大変だから、とりあえずパスモに入れておいてね♪と。

わたしがうんとお金があって力があったら、親は私を頼り切れるのに。
不肖の娘で申し訳ない気持ちと、まだそれだけの気遣いができる両親であることを幸いに思う。







by nekototorito | 2014-08-01 07:54 | 淡々と日々のこと


<< 案ずるより      地元フレンチランチ >>